久しぶりのブログですが、博士課程を無事終えられそう(あとは学位授与式を残すのみ)なので、そのまとめを書きます。個人的な記録です。ちなみに、今日まで週1日のアルバイト状態で、明日からフルタイム勤務に戻るということで、さながら夏休みの宿題を泣きながらやっている小学生という感じでこの記事を書いています。

タイムライン

  • 2015 年: 博士に挑戦することに決める
  • 2016 年: 博士課程入学(4 月)
  • 2017 年: 一つ目の会議論文
  • 2018 年: 休学(4 月)
  • 2019 年: 復学(10 月)、子どもが生まれる
  • 2021 年: 時短勤務を始める(6 月)
  • 2022 年: 二つ目の会議論文、博士論文

在学 5 年、休学 1 年半でした。大学の制度上、休学できるのは丸 2 年までで、それを除く在学年限が 5 年ピッタリなので、かなりギリギリでした。

入学まで

修士時代にお世話になった佐藤一誠さんが学生を取れるようになると 2015 年 9 月に知り、博士課程挑戦するか〜ということで入試対策を始めました。やるなら社会人博士と思っていたので、できるだけ不確実性を避けたいということで、よく知っている先生に指導してもらいたいというのがありました。直近で受けられるのは冬入試でした。自分が受けたのは東大情報理工のコンピュータ科学 (CS) 専攻ですが、その冬入試は、原則として留学生がターゲットなので、筆記試験も口頭試験も英語です。筆記試験を受けたのが自分含めて 4 人だけで、大問が 4 つあり、それを作ったであろう教授陣の面々を思い浮かべて、なんとも贅沢な試験だなあと思ったことを覚えています。口頭試験は、試験官も全員日本語を話せるのに英語で話すのがちょっと面白かったです。一番厄介だったのは、冬入試の場合 TOEFL iBT 90 点を要求していることで、これの対策に一番時間を費やしました。でも覚えた語彙はもう忘れてしまった気がする。

時間との勝負

社会人博士ということで、基本的に時間との戦いでした。最後の 1 年強を除き、ほとんどの期間は週 1 日学生、残りの 4 日で業務、というペースで回していました。これは、素朴に考えてフルタイムの学生の 5 分の 1 しか時間がありません。通常の学生はよほど優秀でない限り最低 3 年かけるところ、上に書いたように休学を駆使しても大学にいられるのは 7 年までです。これだと計算が合わないので、初めのころは夜や休日の時間も使いながら研究していました。

この夜間・休日の時間を使う戦法は、研究が順調に進んでいて、かつプライベートが比較的自由な場合に有効です。この「研究が順調に進んでいて」が曲者で、これが一つ目の論文以降成り立たなくなってしまい、かなり辛い時期が続きました。一つ目の論文以降、ターゲットを理論的な解析に向けて、そのサーベイやらをずっと続けていたのですが、おそらく自分の進め方がよくなくて、進捗を感じづらくなっていました。ネタ探しの段階で進捗が感じづらい状況ができてしまうと、本当に何も進んでいないように感じて、精神的にとてもよろしくないです。ネタ探しでも、実験して知見を広げながら次々に違うことをやってみる、みたいなやり方だとおそらくもうちょっと良いのだろうと思うのですが、当時取り組んでいたテーマでそういう進め方ができていませんでした。実験をするとなるとその時間を業務とオーバーラップさせられたりして、時間を効率的に使いやすく感じますが、そういうことも特にできず、カレンダーに対する進捗がとても遅く感じるようになっていました。

2018 年から 1 年半休学していますが、これはそういった面もありつつ、会社の方で新しいプロジェクト(ChainerX)を始めるので少し集中するための決断でした。休学期間も、ごくたまに大学に出向いて、指導教員と話したりしていました。結局、Chainer は 2019 年の終わり頃に新規機能開発を終了することになってしまいましたが、それと入れ替わる形で復学し、直後に子どもが生まれました。育児休暇を 2 ヶ月半取りましたが、これが最後のチャンスという気持ちで、妻と協力して夜間二交代制の時間割を定め(これは imos さんのツイートを参考にしました)、二人とも起きている午後の間もメインで子どもを見る時間を交代にして、自分の空き時間を研究にあてました。結局、この期間でもネタは定まらず、途方に暮れていました。

2020 年 2 月に育児休暇が明けると、仕事でも新しいチームに異動して、心機一転、研究の方も一旦脇に置いて、しばらくは仕事をしていました。夏頃に元気が戻ってきたので、研究も少し方向性を変えてより実験ベースな方向性に変えました。翌年、なんとか新しい方向性が見えてきて、これならいけるかもしれないという状況が作れました。一方で、タイムリミットも迫っていました。そこで、会社の圧倒的理解のもと、業務時間を一気に短縮して、週 4 日は博士課程、というペースに変えました。また、ターゲットの会議(ICLR)の論文締め切りがあったので、溜まっていた有給休暇を締め切り前 2 ヶ月くらいの期間に全てぶち込みました。この論文投稿が 9 月で、それが翌年はじめに無事採択され、博論を書いて、ディフェンスを切り抜け、今に至るという感じです。

まあなんか気づいたらなんとかなってて良かった良かったという感じですが、在学年限使い切ってますし、正直再現性はないだろうなという気がします。研究の成否なんて再現性ないものかもしれませんが、もう少しなんとかできただろうと思うこともあります。ところで、暗黒時代の代償じゃないですけど、博士と育児のストレスか蕁麻疹体質になってしまいました。困っちゃいますね。ちなみに今も体のあちこちに痒い発疹が出るのを繰り返してます。

同じペースで

すごく一般的な話だと思いますが、時間と戦う上で、特に子どもが生まれてから気をつけているのは、とにかく一定のペースで生活するということです。起きる時間から、ご飯を食べる時間、子どもをお風呂に入れたり身支度する時間、夜の自由時間、寝る時間。今も続いてますが、基本的にほとんど毎日同じペースで生活しています。これは、時間が予測可能になること、研究以外について時間の使い方で脳のリソースをさかなくなること、健康維持といったメリットがあるように思います。もともと妻がかなり一定のペースで生活する人なので、そこともマッチしていました。一方で、これは突発的な面白イベントをあまり発生させないということでもあるので、人生に刺激を求める人には向いていなさそうです。

あと、精神的な負荷がすごいということで、後半の方では何がなんでも自由時間を確保するようにしました。その時間は、どんなに進捗が不味くても全力で自由時間を満喫します。これは人生を続けるための活動なので、ちゃんと食べてちゃんと寝る、にちゃんと遊ぶ、を加える感じで、持続可能性というやつです。これで博士が取れなくても、遊んでた時間は悔やまないことを心に誓っていました。ここでも重要なのは完全に時間を制御することです。上に書いた「一定のペースで生活する」は、自由時間を他のものに侵食させないためにも、自由時間が他のものを侵食しないためにも、とても重要です。何しろ、自由時間にやっていることというのは、博士課程が終わっても続きますから、人生においてより根本的な活動といえます。言い訳じゃないですよ。

育児休暇が明けたあたりでリモートワークに移行しましたが、これも一定のペースで生活するのに貢献していた気がします。子どもがいるのでなかなか大変ではありますが、子どもとの時間も増えたのはよかったです。

得られたもの

もともと、Chainer を作っていて技術的・学術的な議論や概念を英語で伝えるスキルが不足してるし自分じゃ鍛えられないなというところが博士課程のモチベーションになっていました。なんだか随分と実用的な動機ですが、当時は博士持ちの人の方がそういった方面に長けていることを明確に感じていたので、興味がありました。実際博士課程を経験して、これは確実に鍛えられたと思います。研究内容そのものというのは、自分で切り開いていくしかない面がありますが、それをどう表現するかといったことについてはプロの研究者が圧倒的に強いので、そこをガッツリ指導してもらえたのは良かったと感じます。

あと、博士課程は良くも悪くも自分と向き合う時間が多いので、自分をよく知る機会にもなりました。自分一人に返ってくる活動がとても多いというのもあり(これは自分がコミュ不精なので共同研究みたいなことを全然しなかったというのもありますが)、辛かった時期にやってたことは明確に合ってなくて、楽しかった時期というのは自分に合ってる活動だった、ということも割とわかりやすいです。自分の場合、論文を書くのは苦ではなく、概念をまとめたりそれを言葉にするみたいな作業が好きであることが確認できました。一方で、やることが定まっていない時期がつらかったので、もし次に研究っぽい活動をするときにはこの点に気をつけないといけないなと思います。ちなみに、やっている間、特に辛い時期はこういったことに気づくのが難しいということもわかりました。博士課程の終盤に取り組む博士論文も、自分の研究に関する思想みたいなものも書いていて、新鮮で面白かったです。これもまた違う視点で自分と向き合う機会という感じがします。

一方で、ゆっくりじっくり勉強するみたいな活動はあまりできませんでした。これは、時間が限られている社会人博士のデメリットだと思います(個人差もありそうですが)。新しい武器を手に入れる時間がないので、基本的には既に持っている武器でひたすら戦う感じになります。もちろんネタ探しやサーベイの段階では色々勉強することにはなりますが、特に数学的な武器を新たに手に入れるといった活動をするには時間が足りなかったです。具体的には、確率的勾配法について考えていた時期に確率過程の知識が不足していることを悔やんでいました。教科書を眺めながらチャレンジしていましたが、なかなか難しいです。

社会人博士について

社会人博士の是非というか、長所短所みたいなものは上にも多少出てきてますが、正直なところフルタイムの学生と比べて社会人博士は状況が多様なので、一概に言えないところがあると思います。自分の場合は、会社の理解はかなりあったので、その点で苦労することがなかったのはとても助かりました。一方、知財で面倒なことになりたくないのとせっかくなら会社でやらないことをしたいと思い、業務とは直接関係ない(でも当然ゆるくは繋がっている)テーマを意図的に選んだ結果、進行自体はまあまあ大変でした。ここら辺のバランス感覚は人それぞれだし、会社からどういう建て付けでサポートを得るか(あるいは得られないか)によっても全く変わってくるところかと思います。

あと、おそらく重要な点として、働きながら学生をやると、金銭的な心配をあまりしなくて良いというのはあると思います。これは、実際にまともな生活がおくれるということ以上に、将来の不安材料が減るという点でよいと思います。一方で、仕事が忙しくなったりすることもあると思いますし、そういう面でより自分自身での決断を迫られる場面が増えるというのはあるかもしれません。仕事の分量をある程度コントロールできるか、というのは円滑に進める上でかなり重要な気がします。

まとめ

足かけ 6 年半って、小学生時代より長いんですね。信じられないです。絶対まだ色々書けることある気がしますが、当時の研究メモ読んだら辛くなりそうなのでやめておきます。なんとか終わってよかったです。お世話になった方は謝辞に書きましたが、この場でも、指導していただいた佐藤さんと、サポートいただいた会社の経営陣、マネージャ、及び人事の方々、そして心と生活の支えになってくれた妻子に感謝したいと思います。ありがとうございました。明日からお仕事がんばります。